私のことについて

私も、誰かに悲しんでもらえる存在になれるのかな…

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今回は、最近あった出来事の中で私が素直に感じたことを文章にしたいと思います。

先日、年度末のため職場の歓送迎会に参加しました。

新しく入社した方の歓迎会もしたのですが、退職する方の送別会も行いました。

その退職する方は、とても優しい先輩で、みんなのことを受け入れてくれるような方でした。

私も、その先輩と一緒に仕事を進めることも少なくなく、信頼している先輩でした。

そんな感じで、みんなから慕われる方だったので、送別会のときはみんなが泣いていました。

その先輩が退職されるのは寂しいですが、最後に感謝の気持ちなども伝えることができ、とても良い会になりました。

でも、そんな歓送迎会を終えたとき、私はこんな気持ちがよぎりました。

「もし、私が退職するときがきたら、私も誰かに泣いてもらえたり悲しんでもらえるような存在になれるのかな…」

私自身は、気分変調症という精神疾患を患っています。

今の会社に入る前は、別の会社で営業職をしていましたが、とにかく仕事が合わずメンタルの調子を崩し、休職&早期退職をしてしまいました。

その後、今の会社に入社することができましたが、前の会社での経験から、メンタルの調子を崩すのが怖く、今は特にメンタルの調子を最優先に仕事をしています。

できるだけ無理しないように心掛けているし、負荷がかからないように意識しているんです。

精神疾患を持っている私にとって、まずメンタルの調子を最優先に生きることは、仕事をするうえでも大事なことだと思っていたのですが、今回の歓送迎会に参加したことで不安になってしまいました。

「今みたいにメンタルに気を遣うより、もっと無理してでも仕事に頑張って取り組んだほうがいいんじゃないか…。そうでないと、今回退職した先輩のように、いざ退職したときにみんなから悲しんでもらえるような存在になれないんじゃないか…。」

そんなふうに思ってしまったんです。

今はまだまだ退職時に会社の人から悲しんでもらえるほどの人望は私にはないと思ってますし、そこまで仕事で活躍できていないとも思うのです。

それで、必要以上に不安になってしまいました。

でも、よく考えるとそれは違うと感じました。

確かに、退職するときにみんなから悲しんでもらえるのはとても素晴らしいことだと思いますし、それは慕われている証拠だとも思います。

でも、みんなに泣いてもらえなかったからといって、頑張ってこなかったということにはならないと思うんです。

自分なりに頑張ってきたことは必ずあるはずです。

そのことを、自分だけは誇ってあげるべきだと思うんです。

それに、メンタルはやっぱり大事です。

心身の健康が最優先。

私自身、前の会社で休職し働けなくなったことからそれを痛感しました。

心身が不健康だと、仕事もままならないことを知りました。

心身の健康は全ての土台なんです。

以下の記事も参考に読んでみてください。

メンタルが一番大事|悠のメンタル日記 (yu-kibun.com)

それに、私たちは、退職時に会社の人から悲しんでもらえるようになるために仕事をしているわけではありません。

お金のために仕方なく働いている、という場合も多いことでしょう。

私は、お金のために働くことはいけないことだとは思いません。

現にお金がないと生きていけない。生活するうえで非常に大事な要素です。

なので、仕事はお金をもらうためと割り切って向き合うのも一つの社会人の在り方だと思います。

会社は友達作りの場ではないので、仕事上必要なコミュニケーションさえ取れればそれでいいんじゃないか、というのも一つの考え方だと思うのです。

仕事に対する考え方は、人それぞれ。

その考え方は、否定されるべきものではないと思います。

なので、退職するときに職場の人から悲しんでもらえようがそうでなかろうが、そんなに気にすることはないかなと思ったのです。

自分がいなくなったとき、誰かに自分のことを悲しんでもらえることはとても素晴らしいことですが、そう在りたいと思いすぎるのは、ある意味会社の人に依存してることになるのかなと思いますし。

過去にこんな記事も書いているので良ければ読んでみてください。

何事も依存は良くない|悠のメンタル日記 (yu-kibun.com)

今回の歓送迎会を経て、いろいろ考えてみた中で、やっぱり自分軸を持つことが大事だと思いました。

私はこれからも、自分の考え方や心身の健康を大事に、自分らしく働くことを優先させるよう心掛けたいと思います。

自分の考え方や今後のビジョンがまた少し定まったかなと思えた出来事でした。