メンタルにとって良いことを、私なりに考えてみた

「頑張る」ということ

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あなたは、頑張りすぎてはいませんか?また、頑張るときは”適切に”頑張ることができていますか?

間違った頑張り方をすると、メンタルを壊してしまいかねません。私自身がそうでした。

少し私の話をさせてください。

以前、こんな記事を投稿しました。

私が気分変調症になった原因|悠のメンタル日記 (yu-kibun.com)

私は気分変調症という精神疾患を中学生のころから持っています。

↑の記事でも書きましたが、私が気分変調症になったのは「間違った頑張り方」をしていたからなのです。

気分変調症になる前の中学1年生のときのことです。

私は吹奏楽部に入っていたのですが、毎日の部活が楽しくて仕方ありませんでした。

中学に入って初めて吹奏楽部に入り楽器を始めたのですが、憧れの先輩や仲間たちと一緒に練習するのが本当に楽しかったし、楽器が上達するにつれて先輩や先生からも褒められるようになるのが嬉しくて嬉しくて。それで部活にのめり込むようになりました。

ところが、部活に入って半年ほど過ぎたあたりのことです。

部活や楽器が大好きだった私は、もっともっと楽器が上手になりたい、と思うようになりました。

そのためにどうしたらよいか自分なりに考えた末に、「もっと自分に厳しく練習しなきゃ」と考えるようになりました。

今考えると、この思考がそもそも間違いだったのでしょう。

それまでは、とにかく楽しみながら楽器を練習していて、それで上達していたのだからそのままで良かったはずなのに。

考えてみれば、自分に厳しくし始めてからです。

…楽器を吹くのが楽しくなくなっていったのは。

それからというもの、ちょっとミスをしたり、ちょっと吹き方の課題が見つかるたびに、自分を厳しく責めるようになりました。そのうち、上達もあまり感じられなくなりました。

やっぱり、「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、物事を楽しみ、好きになることが上達には大事な要素だったんだなって思います。

自分を責めたり貶したりするうちに、楽しむ気持ちがどんどん薄れていき上達のスピードも落ちたんだと思います。

でも、私は自分を責めたり貶したりするのをやめませんでした。むしろ、どんどんエスカレートしていきました。

「自分が上達しなくなってしまったのは、努力が足りないせいだ。もっと自分に厳しくしていけば、いつかまたきっと上達するはずだ。」

そう思うようになってしまい、自分を責めたり貶したりすることに依存するようになってしまいました。

やめたくても、やめられなかった。ここで自分に厳しくするのをやめてしまったら、もっと下手になってしまうんじゃないかと不安で、怖くて。

ところが、現実とは非情なもので、上達するどころか、どんどん下手になっているような気さえしました。

実際、音色が悪くなりましたし、指回しやタンギングなどのテクニックも落ちました。

居残りで自主練を続けたりもしましたが、上手くなることはありませんでした。

練習をすればするほど、下手になっていく。

でも、自分を責めたり貶したりすることはやめられない。

気付けば、勉強や習い事、趣味やプライベートにおいても自分に厳しくするようになっていき、私はたちまちうつ状態になっていきました。

好きな音楽を聴いたり趣味をしていても楽しくない。何もしてなくても心が苦しい。死んでしまいたい。そんな気持ちになり、感情も徐々に麻痺しているような感覚を覚えました。

自分を責めたり貶したりすることが頑張るということではありません。

私は、「頑張る」の意味を履き違えていたんです。

つらい思いをすることが、頑張ることなのだと誤った考え方をしていました。

頑張るうえでは、楽しむという気持ちが土台にないといけないんだと学びました。

あなたも、「頑張る」ということについて、誤った考え方がしみついてしまってはいませんか?

無理な頑張り方をしていないか、振り返ってみてくださいね。