私は、死にたいという気持ちを抱えていました。
いわゆる希死念慮ってやつです。
以前、こんな記事を投稿しました。
死にたい気持ちとの向き合い方|悠のメンタル日記 (yu-kibun.com)
この記事にも書かせていただきましたが、実際に自殺の準備をして実行に移そうとしたこともあります。…実際に遂行することはできませんでしたが…。
今回は、そんな私から、あなたに伝えたいことがあります。
それは、死なないことが最優先ってことです。
精神科医でもありYouTuberとしても活躍されているSidowさんという方が、X(旧Twitter)でこんなことを投稿されていました。
「自殺を考えるのは、「脳内の一時的なバグ」のせいです。
だから希死念慮を乗り越えた人に話を聞くと
「今振り返るとあの時はおかしかった」
という人がほとんどです。
乗り越えれば思い出話で済むけれどもし本当に自殺に至った場合は振り返りも後悔もできません。
バグは治せます。それを忘れないで」
また、同じく精神科医でYouTuberとしても活躍されている樺沢紫苑先生も、YouTubeでこんなことをおっしゃっていました。
「「死にたい」っていうのは基本的に脳のエラーなんです。
なぜならば生物には自己保存の法則っていうのがあって人間に限らず昆虫でも基本的には自殺しないんです。
自分の生命と種の保存を優先するように生きる。
それがおかしくなってしまっている。
だからそのエラーがなくなれば死にたい気持ちはまったくなくなる。」
…このように、希死念慮はの脳のエラー、脳のバグであるとよく言われています。
私たち生物には自己保存の法則があるにもかかわらず、死にたい気持ちが芽生えるということは、エラーが起こっているということ。
そんなエラーが起こっているような状態で死を選択しようとするというのは、正常な判断ができていない証拠であるといえるのではないでしょうか。
さらに、秋田巌先生が書かれた、「うつの人の風呂の入り方」という本の中にこんな言葉があります。
「生きることが最大の治療です。精神療法です。なんとか生き延びてください。必ずやその苦しみに見合うだけのものが、いつの日か訪れます。」
この言葉のとおり、生きることはそのまま、治療にもなるのです。
生きてるだけでいいんです。
以前、私はこんな記事を投稿しました。
今の私の目的と目標を語らせてください。|悠のメンタル日記 (yu-kibun.com)
詳しくはこの記事を読んでいただきたいのですが、
私の目的は「死なないこと」であり、そのため、希死念慮をなくしていくために「運動を継続すること」を目標としている、ということを書きました。
私も、希死念慮を感じることはたくさんあります。
でも、今回紹介した言葉たちに出会ったことで、希死念慮にだけは負けないように生きたい、と思えるようになりました。
ハ・ワンさんが書かれた、「あやうく一生懸命生きるところだった」という本にも、こんな言葉が出てきます。
「「絶対あきらめるな」という言葉が嫌いだ。命以外なら全部あきらめたっていいとすら考えている。
(中略)
「絶対あきらめるな」という言葉ほど、残酷な言葉はない。ましてや、その目標をあきらめられずに命まで絶ってしまうなんて、そんな悲劇がどこにあるだろう。
世の中にはたくさんの道が存在する。一つの道にこだわりすぎるのは、ほかの道をあきらめていることと同じだ。
あまりにもつらく、耐えがたいならあきらめろ。あきらめたって問題ない。
道は絶対、一つじゃないから。」
そう。命以外なら全部あきらめたっていい。法を犯したりしなければもっと自由に生きていい。
それくらい、私たちは生きることを最優先にするべきなんですよね。
これからも希死念慮を感じることはあるかもしれませんが、そのたびに、今回紹介した言葉たちを、私自身も思い出したいと思います。
この記事があなたの心を少しでも軽くできたなら嬉しいです(^^)